ミケランジェロの生涯を簡単におさらいしよう

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティは1475年3月6日、フィレンツェ近くのカプレーゼに生まれた。

 

父親は地元の行政官を務めていた。

 

生まれてすぐのち、一家はフィレンツェに移住。

 

1488年、ミケランジェロは画家のドメニコ・ギルランダイオのもとに弟子入りした。

 

ドメニコ・ギルランダイオは、当時フィレンツェ最大のパトロンであったロレンツォ・デ・メディチのもとで暮らしていた画家だった。

 

しかしメディチ家フィレンツェから追放されると、ミケランジェロボローニャに旅立ち、1496年にはローマに移住した。

 

彼の主要な彫刻はこの頃に作られたものが多い。

 

1497年制作の『ピエタ』により彼の名声は確立し、著名な彫刻家としてフィレンツェに戻った。

 

f:id:ronnieeda:20180825000850j:plain

 

1501~1504年にかけて、『ダヴィデ像』を完成させた。 

 

f:id:ronnieeda:20180825001217j:plain

 

1505年、ローマ教皇ユリウス2世からローマに呼び寄せられ、教皇本人の霊廟のデザインをするよう依頼された。

 

しかしユリウス2世とミケランジェロとの間には口論が絶えなかった。

 

また多忙なミケランジェロには他からも多くの依頼があったため、霊廟が完成に至ることはなかった。

 

次に任されたプロジェクトはヴァチカンにあるシスティーナ礼拝堂の天井画であった(1508~1512年) 。

 

f:id:ronnieeda:20180825001307j:plain

 

完成とともにこの作品は傑作として受け入れられ、これ以来ミケランジェロは当時のイタリアで最大の芸術家として評価されるようになった。

 

新しく教皇になったレオ10世は、ミケランジェロフィレンツェにあるサン・ロレンツォ大聖堂のファサードの再建築を依頼した。

 

最終的にこの計画は中止されたが、これはミケランジェロの建築家としてのキャリアの始まりを示すものとなった。

 

その後、サン・ロレンツォ大聖堂のメディチ家礼拝堂の設計も行う。

 

1534年、ミケランジェロはローマにもどり、システィーナ礼拝堂の祭壇壁画として『最後の審判』(1537年 - 1541年)を描いた。

 

f:id:ronnieeda:20180825001445j:plain

 

1546年以降は建築家としての活動がより多くなり、とくにヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の改築などがよく知られている。

 

ミケランジェロは1564年2月18日、ローマで死去した。